私には思い出に残る旅が2つある。
1つが北海道の旅である。
学生になると行動範囲も広がりより遠いところへ行ってみたくなる。
しかし旅はしたいが問題は軍資金がないことである。
そんな時学徒援護会から紹介して貰ったのが北海道の援農アルバイトだ。
酪農の手伝いをする仕事か昆布漁の手伝いのどちらかを選ぶことができた。
私が行ったのは日本で最北端の稚内農協の酪農家だった。
上野から夜行列車で青森まで行き青函連絡船で北海道に渡り北の果ての稚内まで行く。
私が入った地域の農家は戦争を逃れて樺太から戦後に入植して開拓を始めたという人達だった。
何もないところから始めて少し前までは電気もなく熊が出て牛がやられて困ったと話していた。
その話を聞いてその家にあったアルコールランプはもう必要ないだろうと思い帰りに記念に頂いて来た。
仕事は毎日搾乳した牛乳を出荷することだが長い冬の間に与えるエサにする牧草を夏の間に確保しておかなければならないので夏が忙しく人手が必要になる。
そこで夏の間だけ草刈りの手伝いにアルバイトを募集するのだ。
しかしアルバイトとは言っても住み込みだからできることは何でもやることになり家族の一員である。
まず日の出前に起き放牧している牛を集めて来て牛舎へ入れるのだがどこまでも見渡す限りの牧草地なので30頭ほどいる牛は見えないところまで行っている。
それを見つけて「コーイコイコイ」と呼びながら牛舎まで追うのだが牛はのんびりしていて歩くのが遅く毎朝搾乳することは分かっているのに言うとおりにしてくれない時もありしまいに腹が立ってくる。
とにかく北海道は何でもスケールが大きくて牧草地もどこまであるのか分からないくらい広いのだがここのカウボーイは馬に乗らない。
エサをあげている間に搾乳するのだが搾乳は機械がやり仕上げの絞りを人の手で行う。
この時牛は慣れてない人の手は判るようで尻尾を振って叩いてきたり足を上げたりしてバカにするのだ。
牛乳は出荷するが毎日搾りたての牛乳が飲めた。
たまには草が浮いていたりしたがこれが美味くて鼻に付いて忘れられない味なのだがこの時以降二度と飲むことはできなかった。
搾乳が終わると牛舎の掃除だが食べる量も凄いから出す量も凄い。
それをスコップで一輪車に載せ運び出し山積みしていくのだがバランスを崩したり滑ったら大変で○○まみれになってしまう。
これが終わって朝食その後はひたすら牧草刈りである。
草を刈るのは機械だが刈られた草を集めて積み上げるのはフォーク1本だ。
草は軽いはずなのにフォークを刺して持ち上げるのにテコの原理を使わないと上がらないほど集めるので重くそれを次々積み上げるので大変なのだ。
北海道とはいえ夏の日中の日差しは強く牧草を刈っているので蒸し暑いので裸になるとアブが止まってくる。
最初はビックリしてすぐ叩いたが「そんなことしていたら仕事にならない」と言われ5~6匹止まるまで待つようになった。
それを毎日暗くなるまで続け天気が心配な時は草刈り機のライトを付けながら続けることもあったが熊のことが常に気になった。
とにかく疲れるので夜はぐったり熟睡できる。
ある朝出産後の親牛が死んだ。
すぐ獣医に診てもらい死因が病気ではないことが分かると隣の牧場の人も来てみんなで解体した。
私も包丁を持たされて肉を取るのを手伝った。
動揺している暇はなく農家にとっては余計な仕事なので早く片付けなければならない。
しかしこの後私は毎日肉が食べられラッキーだったが牧場主は食べなかった。
こうして40日間休みなく働き4万円頂いた。
援農アルバイトで頂いた4万円を元手にして夏休みの残り期間で北海道を周ることにした。
稚内からのスタートなのでまずはより北の礼文島に行ったが船に弱いことを忘れていた。
その後は旭川でアイヌ記念館を見てから大雪山層雲峡へ登ったが濃霧で何も見えずその後東を目指し原生花園から網走刑務所を見て斜里から知床五湖を巡り根室、納沙布岬へ行き北方領土を見て摩周湖、屈斜路湖と回り阿寒湖では遊覧船に乗りその後白老に行ってアイヌ部落を見て支笏湖、札幌、洞爺湖、室蘭、函館と廻った。
交通手段は主に鉄道とヒッチハイクだった。
大きな交差点とかドライブインとかで大型トラックが動き出すところを狙ってお願いをした。
大型トラックの運転手さんは長ーい真っ直ぐな道を長時間運転するので眠気覚ましに話し相手が必要なのだと勝手に解釈した。
乗せてもらったお礼はガムで勘弁してもらった。
それと私が旅した時はまだ蒸気機関車(SL)が現役で走っていたので時間が合えば普通に乗った.
泊まるところは寝袋で野宿だ。
旅行の日程は北海道を離れる日は決めていたがその間の行程は何も決めていなかったので夜になったところで屋根のある処を探して宿泊地にした。
摩周湖の展望場所で暗くなりそこで泊まることにしたが観光客は暗くなると帰って行き誰もいなくなった。
一人で寝床の準備をして眠りに就こうと思ったところガサガサ音がする。
「出た」誰もいないはずだから音を聞いた瞬間ついに熊が出たと思った。
寝袋の中だし確認するには寝袋から出なければならないが動けば音が出るし死んだ振りをしておとなしくしていても熊に見つかるかもしれないし等と迷った挙げ句に静かに体を起こし音がする方を覗いた。
すると誰もいないと思っていたがそこに一人いてその人が寒さを凌ぐためにゴミ箱をあさって新聞紙などを集めていたのだ。
そもそも私は臆病なので本当に怖かった。
翌朝寝起きで摩周湖を見ると霧がなくきれいに湖を見ることができたがすぐに霧が出始め湖を隠してしまった。
そこに観光客が徐々に来て「3日間通っているがいつも霧で見えない」と言っていた。霧のない摩周湖を見るには泊まるしかない。
北海道は温泉が多く屈斜路湖付近には無料の露天風呂もあり夜になれば1人で貸し切りできる。
食事は北海道で食べるものは基本何でも旨い。
そんな中で印象に残ったのはやはり札幌ラーメンでこれは本当に旨いしサッポロビール園のビールはこの旅の打ち上げ的に飲んだので格別だった。
網走刑務所は男としてはどうしても見ておきたいと思うのは高倉健さんのせいだろう。
知床五湖を歩くと心が落ち着き離れたくなくなる。
こうして北海道にアルバイト期間を含め2ヶ月滞在して第二の故郷と思えるほど気に入ってしまった。
そのことを言うと必ず「冬の北海道を知らないからだ」と言われるが確かにそうかも知れない。
糸魚川に行くのも雪の期間を外して行っている。
本当は冬の日本海は荒れていい波が来るらしいがまだ見たことがないので見たいと思っているが地元の人に言わせれば来るなと言うかもしれない。